……1972年10月、ウルグアイのモンテビデオからチリのサンチャゴに向かった飛行機がアンデス山中に墜落した。
乗客45名のうち32名が生き残って遭難、最終的に救出された16名の生存者は人間を食べて生き存えた。……
1980年、駒場小劇場で、上演された野田秀樹作「二万七千光年の旅」はこの事件をベースに描かれました。
遭難した人々を助けるため、「無名人」と「益荒男」の二人の少年はたったふたりで救援隊を呼びに行く。無名人は、70日たっても戻ってこなかったら、妹を食べてくれと言い残し……。しかし、救出されたふたりは彼らを救うことはできなかった。
切ないまでに頑な「契り」を結んだ少年。
しかし、その「契り」は果たせず、
「契り」の中に今なお、生き続ける少年。
それは世紀末の放浪者のごとく、
私たちの前に再び姿を現す。
「契り」を果たせなかった少年たちは今も誰かを救おうと、時空を彷徨う。
しかし無力な無名人は誰も救えない。必死に懸命に「何か」を救おうとしている。
「世界は欲望の付録だった                 
そんな時、一度だって僕らの頭上にある太陽は何かをくれたか
                  くれたものは欲望だけだ」
さまざまな欲望が支配する世界。金欲、食欲、性欲、生欲………。
救おうとしていたものは無欲な少年の「心」だったのだろうか。
この舞台は、現代人の、忘れがちな「懸命さ」や、「無垢」ということばを思い出させてくれるかも知れない。また、この世紀末を預言して、野田秀樹は描いたに違いない。そして、今まさに、この戯曲が演じられ、語られる時代がやってきた。もしかしたら時代が追いついたのかもしれない。
終わりは始まり、始まりは終わり
絶えず繰り返される再生。
物語の終わりはまた新たな物語へと生まれゆく。
そして世紀末、
ひとつの世紀の終わりは新しい世紀へと生れ変わる。
世紀末…世紀末の少年…少年とは、
少年とは、選ばれし者。
そして、20年前に野田秀樹自身が演じた少年「無名人」の役に
V6の三宅健が挑みます。
この少年=無名人は、20年前、野田秀樹自身が演じた役です。そして、今回はこの選ばれし者、少年無名人に、この世紀末の若者の象徴であり、代弁者でもあり、そして来るべき21世紀への橋渡し役となっていくV6の三宅健が挑みます。きっと、この役をを演じている彼の姿に、そして、この役を通して語られていくことばに、この殺伐とした世紀末の中で、現代の若者達が本当は心の奥底で求めている「無垢さ」や「懸命さ」を皆様に、より明確に、ストレートに伝えてくれることでしょう。そして、もう一人の少年益荒男には山口紗弥加が決定。彼女の天真爛漫さが観客に共感を呼ぶことでしょう。
それぞれの世代が重なりあう瞬間、
そこには新しい時代の道標が創られる
今回の出演陣の面白さは、「世代」が交差しているところにあります。みゆき役に花組芝居の加納幸和、有名人にはハイレグジーザス主宰の河原雅彦、そして、20年前、本作品にも出演していた元夢の遊眠社の松澤一之と、この20年の間の「世代」の代表が、このひとつの作品で出会います。

●公演概要