葵上・卒塔婆小町




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葵上・卒塔婆小町イメージ< 三島由紀夫(1925年―1967年)は、少年時代おもに短編小説と詩歌の創作に傾倒していましたが年とともにしだいに短編小説から長編小説へ、また詩歌から戯曲へとその思考体系の変化とともに創作フィールドを移し変えていきました。三島由紀夫は、第二次大戦中(16歳〜20歳)より「能」にひかれており、明治時代より郡虎彦が行っていた近代能『道成寺』『鉄輪』にヒントを得て、近代能の創作を始めます。郡虎彦の『道成寺』『鉄輪』は世紀末趣味的なものに陥っておりましたが、三島氏が意図したものはそれとは違 っていました。「能楽の自由な空間と時間の処理や、露な形而上学的主題などを、そのまま現代に生かすために、シチュエーションのほうを現代化したのである。」と三島氏自ら説明しています。

 能とギリシャ古典劇との共通点としてなによりも、そこに扱われているテーマの永遠性では無 いでしょうか。それゆえに何度も偉大な作家たちにギリシャ古典劇を原点としその現代化や設定を移し変えての新たな創作へと駆り立てたのでしょう。古典派に属する三島氏は、その古典文学という型の中に入りつつも能の持つ心に鼓舞されて、原点の持つストーリーや設定を自由自在に変えて「近代能」を造り上げていったのです。近代能楽集は、1950年に発表された『邯鄲(かんたん)』、その後『綾の鼓』『卒塔婆小町』『班女』『葵上』の一幕物からなる作品を1956年までに発表しました。その後、『道成寺』『熊野』『弱法師』『源氏供養』という作品が新たに加えられていきます。

 三島由紀夫没後32年/33回忌にあたる本年、その中より『葵上』と『卒塔婆小町』の一幕物の二作品を96年・98年と同様に美輪明宏 演出・主演で上演致します。
美輪明宏がこのニ作品を取り上げる理由は、これらはこの宇宙の<正負の法則>の<美と醜> <若と老>に則った<恋と愛についての物語>であるからです。(後述=演出にあたって/前回 公演パンフよりをご参照下さい)





これまでの三島戯曲に対するアプローチを覆す           
  三島由紀夫との交友も深く、彼の感性・文学の肌合いにも精通し、
三島戯曲の行間を隈なく読み取る美輪明宏でしか成しえなかった演出。
そして生前 三島由紀夫が切望してやまなかった          
       美輪明宏 演出・主演による上演が96年・98年実現!
映画では世界的ヒットとなった三島歌舞伎“黒蜥蜴”に続く、    
     究極の耽美的エンターテイメント<三島×美輪>ワールド、
三島能のニ作品 <葵上> <卒塔婆小町>。             
美輪明宏の完璧なまでの演技術・技巧により            
   三島戯曲の持つ日本語の美しさを余すことなく表現する     
             <美しい日本語の物語>として描きます。


三島由紀夫の作品では舞台での決定版とも言える97年青山劇場の『黒蜥蜴』やパルコ劇場での 2001年の寺山修司作『毛皮のマリー』、1997年・99年の『双頭の鷲』の演出でも証明された美輪明宏の演出力。日本語の持つ美しさ・修辞・逆説を余すことなく発揮した三島由紀夫 戯曲を、その知性と創造力に基づくこの演出力で、私たちに解き明かしてくれることでしょう。
そしてまた、自著『人生ノート』でも述べているように無味乾燥とした殺伐とした現代・知性と 理性の欠如した現代、同時にこれほどまでに知的なもの・高品質なもの・美しいものの求められている時代へ一石を投ずるべく、まさに理知的な高品質の演劇エンターテインメント、


<美しく 妖しく はかなく 悲しい幻想の世界 しかし、                
        ダイナミックでドラマティックな<絢爛豪華なエンターテイメント作品>


となることでしょう。



●前回公演パンフレットより  『演出にあたって  美輪明宏』

 私が三島氏より『卒塔婆小町』と『葵上』の上演依頼を受けたのは、昭和43年 (1968)『黒蜥蜴』公演の直後であった。私の自伝『紫の履歴書』の序文を書いて頂き原 稿を受け取った折である。私の自伝の最後の章に前世にて共に火中に死んだ恋人の青年の転生を持ち続けるというくだりを指しつつ氏は、「黒蜥蜴の次は卒塔婆小町だな。君のこの章は正に卒塔婆だよ。おまけに君程この役に相応しい女優はいまいと思うよ」。私は老婆はまだ時機 尚早と断ると、「そんな筈はなかろう。寺山君の『青森県のせむし男』では老残の狂女を演ったではないか、それだのに俺の卒塔婆小町を断るテはなかろう」と切り返された。窮した私は冗談で身をかわした。その後、再び2度ばかり薦めがあった。私は当時上演に適した劇場が見あたらぬことを理由に丁重にお断りした。然しその際、「もし上演するとすれば」という仮の話とし て「卒塔婆小町」と「葵上」両作品の演出プラン美術音楽衣裳演技プランを氏に話した。氏はこちらが驚くほど、私のその案に驚喜して「制作の段取りは黒蜥蜴の時と同様俺が手配するから、 早速来年やってくれ給え」といわれた。しかし適切な劇場が見当たらぬという私の説でその話は一応諦めて頂いた。その節に三島氏に告げた私の演出演技プランの全てが今日皆様方にご覧頂 く公演なのである。ご覧頂ければ全て御分かり頂ける筈であるからそれほど詳しく演出プランについてお話する必要はないので遠慮させて頂くが、三島氏とのその時の会話の中で皆様に興味を覚えて頂けると思われる事をいくつか御披露したいと思う。
   (中略)
彼は自作品が市場においてマイナーであった理由について語った。「何故、俺の作品というと 演出家も演技者も皆気取るんだろう。不条理劇風な味付けをしたホームドラマにされるのが一等腹が立つ」と怒った。氏はホームドラマが大嫌いであった。氏は「芝居とは、荒唐無稽でロマンティックと抒情的(リリシズム)と上質の感傷的(センチメンタル)と劇的なるものが味付けされた非日常的空間でなければならぬ。そしてその根幹をなすものは精神と哲学と情念の昂 ぶりであり流れである」と彼の芝居の定義を述べた。私はそれに対して「卒塔婆小町」と「葵上」についての所見を述べた。「このニ作品は近代能楽集の中の他の作品に比して一等普遍性がある。 何故ならば恋愛と美と死と無常感とこの宇宙の中における地球上の法則である正負の法則に則った作品であるからである。また『葵上』は特に、源氏物語と能(猿楽)とジャン・コクトーの映画『オルフェ』と三島氏の創作のコラージュであり、『卒塔婆小町』は『オルフェ』の代わりにジェニファー・ジョーンズ主演の映画『ジェニーの肖像』を混合したあなたのコラージュ 作品でしょう。そしてそれぞれに共通して重要な根本を成すものは幽玄であり神秘であり悲しみと不気味さである。六条康子の生霊の手袋は『オルフェ』のマリア・カザレス扮する死者の 女王の手袋であり、毎夜、壁より出現しジャン・マレエの詩人と道ならぬ恋をしたその妻を死に至らしめる。卒塔婆小町の公演は『ジェニーの肖像』の中で、ジョセフ・コットン扮する画 が不思議な少女といつも出会う公園であり、そのジェニーなる少女は実は百年前に死んでいた乙女の亡霊でもあったのである」
   (中略)
時間と空間を超越したこの劇の核を成す主題は献身と自己犠牲の悦楽である。これは現代に最 も欠けているものであり、また今最も必要なものなのではあるまいか。
   (後略)

<葵上><卒塔婆小町>
この宇宙の中における地球上の法則である<正負の法則>に則る
<恋>と<愛>の物語。

美しいものを羨んではならない。なぜならば、
その人々は美しく生まれついたが故の過酷極まる懲罰が課せられる
恐ろしい運命にあるのだから。
それが
この世の正負の法則なのである。
この二本の作品は、その劫罰の物語なのである。

『葵上』では、恋情(自分本位のもので自分の欲望を満たすために、相手が必要という感情)が 描かれ、『卒塔婆小町』では愛情(相手本位のもので相手の幸せを願いそれを満たすためにただひたすらにつくす想い)が描かれる。

『葵上』は、1955年初演。能の「葵上」では、六条の生霊と横川の小聖との戦いであるが、この作品においては源氏物語の光源氏と葵上、六条御息所の物語のように、小聖の代わりに六条の過去の恋人 光(源氏)を登場させてスリリングな仕上げになっている。
光の妻、葵の病床に毎夜通う、生霊六条康子、嫉妬心に駆られた女の生霊。病室から湖上のヨットへと場面を変え。生霊と現身の電話の声との交錯、そして六条の不思議な力に引っ張られて、光は死にかかっている最愛の妻・葵を捨て幽幻の世界へと引き込まれていく。
『卒塔婆小町』は、1952年初演。小野小町と深草の少将の伝説を現代化したものである。美と死と愛という三角関係をそこに描いたこの作品は、『近代能楽集』の中でも一番の名作といわれている。
公園のベンチ、老婆(小町)と詩人に交わされる言葉から、場面を鹿鳴館に変えた舞踏会の風 景へ、美しすぎることは罪なのか、美しすぎるが故のあまりにも悲哀に満ちた定めを負わねばならない。
小町を美しいといえばその男は死ぬ、愛ゆえに男に言わせまいとするのだが、男は美しいと言わないではいられない。そして、小町は愛のため男を100年待つ運命の中にいる。


今回は、更に 共演者 宅麻伸を得て           
       ますます美輪の演出/美輪ワールドが映える。


葵上・卒塔婆小町イメージ前回96年・98年とは異なり、
(96年/光=宇崎慧・詩人=岸本祐二、98年/光=宇崎慧・詩人=山田佳伸) 『葵上』の若林光(光源氏)役及び『卒塔婆小町』の詩人役の二役を、宅麻伸が挑戦します。
『葵上』若林光は源氏物語の<光源氏>と『卒塔婆小町』詩人は<深草の少将>は 日本を代表する絶世の美男子。<光>は、裕福で瑞々しく凛々しい青年実業家、一方<詩人>は、どこかエキセントリックな雰囲気が漂う貧乏で純朴な青年詩人。
このタイプの異なる美男子を、宅麻伸が演じ分けます。
宅麻伸の甘いマスクと長身の豊かな体格、透き通るような純朴な眼差しやそして何よりもその感 性・存在感が、美輪明宏演出により、これまでになく一層男の色気を匂い立たせることでしょう。
ご期待下さい。

Aoinoue・Sotobakomachi
近代能楽集より葵上・卒塔婆小町
作 三島由紀夫  演出・美術・主演 美輪明宏
Yukio Mishima         Akihiro Miwa

 CAST
 <葵上>
    六条康子= 美輪明宏 Akihiro Miwa
    若林 光= 宅麻 伸 Shin Takuma
     看護婦= 小松花奈子・高森由里子・中山玲

 <卒塔婆小町>
  老婆(小町)= 美輪明宏 Akihiro Miwa
      詩人= 宅麻 伸 Shin Takuma
     男など= 江上真悟・平田桃介・倉持一裕・木村彰吾・西田高志 
       女= 小松花奈子・高森由里子・仮屋ルリ子・中山玲・水野悦

 STAFF
美術補= 松野潤  照明=戸谷光宏  音響=高橋巖
衣裳コーディネイト= 四方修平  演出補=岸田良二  舞台監督=佐川明紀 
東京主催=TBSラジオ
企画制作=株式会社パルコ  制作協力=オフィスミワ

<全国公演>2002年5月・大阪・名古屋・仙台・盛岡・浜松・広島・福岡・富山にて
東京主催 TBSラジオ
企画制作 (株)パルコ / 制作協力 オフィスミワ



[公演概要]