優れた戯曲がそうであるように、そこに描かれている言葉は時代を超えても、光を失うことはありません。同様に二人の女王、エリザベス1世とメアリー・ステュアートは、今なお女性について語られる時に登場する二人です。そして二人が残した言葉達は今なお、私達の心に響き続けています。男で身を滅ぼしたといわれるメアリー・ステュアート、もうひとりは政治的問題と絡む男女関係に煩わされることを嫌って、一生結婚をしないことを宣言し「処女王(Virgin Queen)」と呼ばれたエリザベス1世。史実では、二人は常に拮抗し、メアリーはエリザベスによって処刑されます。しかも二人は同じ島に生きながら、決して出会うことがありませんでした。しかし、マライーニはこの戯曲の中でその二人を夢の中で出逢わせます。「女」として、そして同時代を生きる「人」として出逢います。その瞬間、二人はすべてから解き放たれ、互いのこれまでの人生を共有します。そこには女王として君臨し、しかし女王であるまえに女として、人として生きたかった二人の心の叫びを感じ取ることができます。もし本当に二人が出逢っていたとしたならば、二人は愛し合えたかもしれない・・・、そう思わずにはいられない瞬間を感じたとき、時代を激しく、そして力強く生き抜いた二人の女の人生が浮き彫りにされることでしょう。そして国家を背負い、互いの宗教を背負い、社会という男性社会の中で生き抜いた二人の女性の生身の言葉は今を生きる私たちに痛烈に響くことでしょう。二人の言葉は永遠の言葉として、時代を問わず、普遍であり、つねに私たちの心にあります。社会の中での女性としての闘い、うめき、もがきがメアリーとエリザベスの言葉から伝わってきます。きっと観客はこの二人に自分の生き方を探り重ね、台詞は自問自答の言葉として心に響くことでしょう。自分の心、人生に響くことばと出逢える舞台、そして今、まさに女としての生き方を鋭く問う、それが「メアリー・ステュアート」です。
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