三島由紀夫との交友も深く、彼の感性・文学の肌合いにも精通し、三島戯曲の行間を隈なく読み取る美輪明宏でしか成しえなかった演出。
美輪明宏の完璧なまでの演技術・技巧により三島戯曲の持つ日本語の美しさを余すことなく表現する<美しい日本語の物語>として描きます。
三島由紀夫の作品では舞台での決定版とも言える『黒蜥蜴』、ジャン・コクトー作『双頭の鷲』、寺山修司作『毛皮のマリー』などの演出でも証明された美輪明宏の演出力。日本語の持つ美しさ・修辞・逆説を余すことなく発揮した三島由紀夫戯曲を、その知性と創造力に基づくこの演出力で、私たちに解き明かしてくれることでしょう。
そしてまた、自著『人生ノート』でも述べているように、無味乾燥とした殺伐とした現代・知性と理性の欠如した現代、同時にこれほどまでに知的なもの・高品質なもの・美しいものの求められている時代へ一石を投ずるべく、まさに理知的な高品質の演劇エンターテイメントとなることでしょう。
美しく、妖しく、はかなく、悲しい幻想の世界を、美輪明宏演出ならではのスペクタクルに、ロマンチックに、そしてドラマチックに展開!
そして、美輪明宏の完璧な技巧・演技術により、『葵上』では聖霊を、『卒塔婆小町』では百歳の老婆と、二十歳の絶世の美女を演じ分けます。
また、『葵上』の若林光(光源氏)役及び『卒塔婆小町』では深草の少将の転生・詩人役というタイプの異なる絶世の美男子二役を、木村彰吾が演じ分けます。甘いマスクと長身の豊かな体格、透き通るような純朴な眼差し。そして何よりもその感性と存在感が美輪明宏演出により、これまで以上に引き立つことでしょう。どうぞご期待ください!
三島由紀夫(1925年-1970年)は、少年時代おもに短編小説と詩歌の創作に傾倒していたが、年とともに次第に短編小説から長編小説へ、また詩歌から戯曲へとその思考体系の変化とともに創作フィールドを移しかえていきました。
三島由紀夫は、第二次大戦中(16歳〜20歳)より「能」にひかれており、明治時代より郡虎彦が行っていた近代能『道明寺』『鉄輪』にヒントを得て、近代能の創作を始めます。郡虎彦の『道明寺』『鉄輪』は世紀末趣味的なものに陥っておりましたが、三島氏が意図したものはそれとは違っていました。「能楽の自由な空間と時間の処理や、露な形而上学的主題などを、そのまま現代に生かすために、シチュエーションのほうを現代化したのである。」と三島氏自ら説明しています。
能とギリシャ古典劇との共通点は、なによりもそこに扱われているテーマの永遠性ではないでしょうか。それゆえに何度も偉大な作家たちにギリシャ古典劇を原点としてその現代化や設定を移しかえての新たな創作へと駆り立てたのでしょう。古典派に属する三島氏は、その古典文学という型の中に入りつつも能の持つ心に鼓舞されて、原点の持つストーリーや設定を自由自在に変えて「近代能」をつくり上げていったのです。
近代能楽集は、1950年に発表された『邯鄲(かんたん)』、その後『綾の鼓』『卒塔婆小町』『班女』『葵上』の一幕物からなる作品を1956年までに発表しました。その後、『道明寺』『熊野』『弱法師』『源氏供養』という作品が新たに加えられていきます。
2017年春、その中より『葵上』と『卒塔婆小町』の一幕物の二作品を1996年・98年・2002年・10年と同様に、美輪明宏 演出・主演で上演致します。
美輪明宏がこの二作品を取り上げる理由は、これらはこの宇宙の<正負の法則>の<美と醜><若と老>に則った<恋と愛についての物語>であるからです。
『葵上』は、1955年初演。能の「葵上」では、六条の生霊と横川の小聖との戦いであるが、この作品においては源氏物語の光源氏と葵上、六条御息所の物語のように、小聖の代わりに六条の過去の恋人 光(源氏)を登場させてスリリングな仕上げになっている。
光の妻、葵の病床に毎夜通う、生霊 六条康子、嫉妬心に駆られた女の生霊。病室から湖上のヨットへと場面を変え・・・。生霊と現身の電話の声との交錯、そして六条の不思議な力に引っ張られて、光は死にかかっている最愛の妻・葵を捨て幽玄の世界へと引き込まれていく。
『卒塔婆小町』は、1952年初演。小野小町と深草の少将の伝説を現代化したものである。美と死と愛という三角関係をそこに描いたこの作品は、『近代能楽集』の中でも一番の名作といわれている。
公園のベンチ、老婆(小町)と詩人に交わされる言葉から、場面を鹿鳴館に変えた舞踏会の風景へ、美しすぎることは罪なのか、美しすぎるが故のあまりにも悲哀に満ちた定めを負わねばならない。
小町を美しいといえばその男は死ぬ、愛ゆえに男に言わせまいとするのだが、男は美しいと言わないではいられない。そして、小町は愛のため男を100年待つ運命の中にいる。
私が三島氏より『卒塔婆小町』と『葵上』の上演依頼を受けたのは、昭和43年(1968年)『黒蜥蜴』公演の直後であった。私の自伝『紫の履歴書』の序文を書いて頂き原稿を受け取った折りである。私の自伝の最後の章に前世にて共に火中で死んだ恋人の青年の転生を待ち続けると云う件りを指しつつ氏は、「『黒蜥蜴』の次は『卒塔婆小町』だな。君のこの章は正に卒塔婆だよ。おまけに君には絶世の云々と云うキャッチフレーズで世に呼ばわれた実績もあるし、君程この役に相応しい女優はいまいと思うよ」。私は老婆は時期早尚と断ると、「そんな筈はなかろう。寺山君の『青森県のせむし男』では老残の狂女を演ったではないか、それだのに俺の『卒塔婆小町』を断るテはなかろう」と切り返された。窮した私は冗談で身をかわした。その後、再び二度ばかり薦めがあった。私は当時上演に適した劇場が見当たらぬ事を理由に丁重にお断りした。然しその際、「もしも上演するとすれば」と云う仮の話として『卒塔婆小町』と『葵上』両作品の演出プラン、美術・音楽・衣裳・演技プランを氏に話した。氏はこちらが驚く程、私のその案に驚喜して「制作の段取りは『黒蜥蜴』の時と同様俺が手配するから、早速来年やってくれ給え」と云われた。然し適切な劇場が見当たらぬと云う私の説でその話は一応諦めて頂いた。その節に三島氏に告げた私の演出演技プランの全てが今日皆様方に御覧頂く公演なのである。御覧頂けば全て御わかり頂ける筈であるからそれ程詳しく演出プランについてお話しする必要はないので遠慮させて頂くが、三島氏とのその時の会話の中で皆様に興味を御覚え頂けると思われる事をいくつか御披露したいと思う。
(中略)
彼は自作品が市場に於てマイナーであった理由について語った。「何故、俺の作品と云うと演出家も演技者も皆気取るんだろう。不条理劇風な味付けをしたホームドラマにされるのが一等腹が立つ」と怒った。氏はホームドラマが大嫌いであった。氏は「芝居とは、荒唐無稽でロマンチックと抒情的(リリシズム)と上質の感傷的(センチメンタル)と劇的なるものが味付けされた非日常空間でなければならぬ。そしてその根幹をなすものは精神と哲学と情念の昂りであり流れである。」と彼の芝居の定義を述べた。私はそれに対して『卒塔婆小町』と『葵上』についての所見を並べた。「この二作品は『近代能楽集』の中の他の作品に比して、一等普遍性がある。何故ならば恋愛と美と死と無常感とこの宇宙の中に於ける地球上の法則である正負の法則に則った作品であるからである。またこの『葵上』は特に源氏物語と能(猿楽)とジャン・コクトーの映画『オルフェ』と三島氏の創作力のコラージュであり、『卒塔婆小町』は『オルフェ』の代わりにジェニファー・ジョーンズ主演の映画『ジェニーの肖像』を混合したあなたのコラージュ作品でしょう。そしてそのそれぞれに共通して重要な根本を成すものは幽玄であり神秘であり悲しみと不気味さである。六条康子の生霊の手袋は『オルフェ』のマリア・カザレス扮する死の女王の手袋であり、毎夜、壁より出現しジャン・マレエの詩人と道ならぬ恋をしその妻を死に至らしめる。『卒塔婆小町』の公園は『ジェニーの肖像』の中で、ジョセフ・コットン扮する画家が不思議な少女といつも出逢う公園であり、そのジェニーなる少女は実は百年前に死んでいた乙女の亡霊であったのである。」
(中略)
時間と空間を超越したこの劇の核を成す主題は献身と自己犠牲の快楽である。これは最も現代に欠けているものであり、また最も必要なものなのではあるまいか。
(後略)