東京都出身。1979年、フランスで公開された寺山修司監督の映画『草迷宮』で主演デビュー。81年『太陽のきずあと』、83年『戦場のメリークリスマス』、84年『瀬戸内少年野球団』『さらば箱舟』等で映画俳優のキャリアを重ねる。84年のTVドラマ『無邪気な関係』への出演を契機に活躍の場をテレビに移し、90年代前半までのトレンディドラマで爆発的人気を得る。近年は音楽活動でもその才能を発揮している。
主な映画に、『私をスキーに連れてって』(87年)、『遠き落日』(92年)、『スワロウテイル』(96年)、『宮澤賢治―その愛―』(96年)、『月の砂漠』(03年)『予言』(04年)など。最近のテレビドラマに、『平清盛』(12年)、『実験刑事トトリ』(12・13年)、『震える牛』(13年)、『明日、ママがいない』(14年)、『贖罪の奏鳴曲』(15年)。舞台は『楽屋』(84年)、『青ひげ公の城』(03年)、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(04・05年)、『あわれ彼女は娼婦』(06年)、『三文オペラ』(09年)、新版『天守物語』(14年)などがある。
主な映画に、『私をスキーに連れてって』(87年)、『遠き落日』(92年)、『スワロウテイル』(96年)、『宮澤賢治―その愛―』(96年)、『月の砂漠』(03年)『予言』(04年)など。最近のテレビドラマに、『平清盛』(12年)、『実験刑事トトリ』(12・13年)、『震える牛』(13年)、『明日、ママがいない』(14年)、『贖罪の奏鳴曲』(15年)。舞台は『楽屋』(84年)、『青ひげ公の城』(03年)、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(04・05年)、『あわれ彼女は娼婦』(06年)、『三文オペラ』(09年)、新版『天守物語』(14年)などがある。
A映画館は、実演などもよくやる劇場スタイルで両サイドが桟敷になっており、座ぶとんにひっくり返って映画を見ることができた。
冬になると桟敷には火鉢、椅子席にはダルマストーブがおかれた。この興行師にはぼくと同年配の息子がおり、彼がよくテケツ(受付)でモギリをやっていた。祭りの季節になると、興行師一家はあちこちを点々として、珍獣海坊主の見世物興行をした。バカバカしいから見ちゃだめといわれたが、ある時木戸銭を払ってこっそりのぞくと、時々大きな水がめからプワッと顔を出す海坊主の子どもが、その興行師の息子だったのに仰天した。彼とは、映画館の無人の客席でよくチャンバラをして遊んだのを覚えている……。
「流芸の里・月潟村」という題名のルポとも小説ともつかない作品にとりかかって数年になる。月潟村は新潟県蒲原地方にあり、かつて村民の七割が角兵衞獅子、瞽女、祭文語りなどの流芸人だったといわれている。またその近くの海べりに角海浜という寒村があり、これが”毒消しゃいらんかねぇ”の毒消しなどの行商で知られている。
今度の戯曲は、この取材からヒントをえて書き出したものだが、例によってどんどん変わっていき、舞台設定も小学校の分教場から映画館に一変した。絢爛と登場するはずだった流芸人や行商人は遠くに追いやられた感じになってしまったが、ぼくとしては、映画館のあのなつかしい闇が、彼等の叫び、彼等の歌、彼等の夢をなんとか内包してくれるのではないかと願っている。
映画館といえばもうひとつ。ぼく自身、早大入学で東京へ出てきたわけだが、はじめ地理もわからず友達もおらず、型通り地方出の悲哀をたっぷり味わった。そんな折、早稲田署の署長をしていた叔父が退職して小さな映画館を経営しているときき、そこへ押しかけた。高田馬場の銀星館。 銀星などというイメージからほど遠いうす汚れた建物だった。警察署長がどうして映画館主になったのかよくわからないが、とにかく無料パスをもらい毎日のように通った。一日目、二日目でその銀星館の闇とふるさとのA映画館の闇とがすっとつながり、溶け合い、ぼくは東京へ出てきてはじめて、呼吸がラクになったような感触をもった……。
この作品では、三島由紀夫の「孔雀」をはじめ、サルトルの「キーン」、シェイクスピアの「オセロー」など、いつもの如くいろいろ引用させてもらっているが、主人公清村盛が青春時代にやったという芝居の選択にはハタと困った。いや、はじめはそれにピッタリの戯曲がすぐに見つかるだろうと楽観していたのだが、実際に書き出す段になっても決まらない。どうしてもしっくりくる戯曲がないのだ。
結局、自分でその作品を創り、それを引用することにした。引用としてははじめての経験である。それになんとなく戯曲を二つ書いたような気分になっている……。