ロンドン、ウエストエンドのフォ-チュン・シアタ-で上演中の『The Woman in Black』は、
今年の6月で26年目の上演に入り、同劇場のロングラン記録を更新中です。
女流作家ス-ザン・ヒルの同名小説をもとに、スティ-ブン・マラトレットの脚色、ロビン・ハ-フォ-ドの演出で舞台化されたこの作品は、
1987年にスカーバラのスティーヴン・ジョセフ・シアターで幕を開け、ロンドン、ハマ-スミスのリリック・シアタ-、プレイハウス・シアターを経て、
1989年6月にはウエストエンドのフォ-チュン・シアタ-で上演を開始、瞬く間にロンドンっ子を恐怖で震え上がらせ、大評判となりました。
  • 観客のいない劇場。本来なら何百という人の息が聞こえてきそうなその場所で、たった2人の男、中年の弁護士と若い俳優が、過去に体験した世にも恐ろしい出来事を、劇中劇の形を借りて再現していきます。俳優は若き日のキップスを、弁護士は彼が出会った人々演じながら・・・。物語が進むにつれ次第に観客は想像力を駆使せざるをえなくなり、同時に、ひたひたと迫ってくる恐怖の予感に出会うのです。各紙演劇批評の絶大な支持を得た音響効果がそこに追い討ちをかけます。そして観客は、断崖から突き落とされた様な恐怖の感覚を体験するのです。
    『ウーマン・イン・ブラック』は、俳優がその才能を大いに発揮できる脚本であり、さらに、照明、音響、舞台装置がシンプルゆえに非常に有効であるという、演劇ならではの普遍的な面白さがあります。それが、国境を超え世界40ヵ国あまりで上演される所以です。

  • 日本での上演は、1992年、93年(斎藤晴彦/萩原流行)、96年(斎藤晴彦/西島秀俊)、99年、2003年、08年(斎藤晴彦/上川隆也)と回数を重ねてきました。
    パルコ・プロデュースの中でも、観客からの再演希望が多くその評価は絶大なものです。この作品の持つ手法-“語り”の力で風景や情景を想像させ恐怖を感じさせる-は、“蝋燭を囲んで語られる怪談話”に馴染み、落語や講談に代表される伝統的な“語り”文化を持つ日本人にとっては、より効果的であったに違いありません。

今回、日本での7度目の上演にあたり、萩原流行、西島秀俊、上川隆也と錚々たる俳優が演じてきたヤング・キップスに挑むのは岡田将生。
映画やテレビドラマでの活躍はもちろん、昨年の『皆既食-Total Eclipse-』(蜷川幸雄演出・シアターコクーン)では、
初舞台にも関わらず、高い評価を得ました。
正統派俳優として今最も将来が期待される一人です。

そして、日本初演からオールドキップスを演じ、ロンドンでの公演(08年9月)でも絶賛された斎藤晴彦からのバトンを受け取ったのは、演技派、実力派俳優
の勝村政信。舞台にしっかりと軸足を置きながら、映画やテレビドラマなどでも幅広く活躍しています。

今回の『ウーマン・イン・ブラック』は、キャストのみならず翻訳も一新します。
このお芝居にある普遍的な“演劇の醍醐味”をあらためて味わっていただけるはずです。どうぞご期待ください!

  ヴィクトリア様式の小さな劇場。舞台には特別な装置やセットはなく、ガランとしている。そこへ中年の弁護士キップスと若い俳優が相次いで現われる。キップスには青年時代、家族や友人にも告白できないような呪われた体験があった。以来、その記憶のために悪夢に悩まされ、安らぎのない日々を送っていたのだ。悩みぬいた末、キップスはこの忌まわしい記憶を、家族に打ち明けようとする。あの怪奇な出来事を劇場で語ることによって、悪魔祓いにかえ、呪縛から解放されようというのだ。その手助けに、若い俳優を雇ったのだった。
  キップスの告白はひどく長い。そのため、俳優が“若き日のキップス”を、“キップスが出会った人々”をキップスが演じるという上演の形が、俳優から提案される。そして「芝居」は始まった。
  若きキップスは、勤務先の弁護士事務所の顧客アリス・ドラブロウ夫人の死から語り始めた。この身寄りのない老婦人は北イングランドの片田舎で亡くなり、その葬儀と遺産整理のためにキップスが現地まで行くことになったのだ。夫人は地元の町クリシン・ギフォードの誰とも交流を持たずに、ナイン・ライン・ライフコーズウェイの先、イール・マーシュの館で暮らしていた。そこは潮が引いた時にしか行き来のできない孤立した場所だ。クリシン・ギフォードの人々は、キップスがドラブロウ夫人の名前を出す度に、表情を凍りつかせ不審な態度をとるのだった。彼女の葬儀に参列し、その後で館を訪れた彼は、そこで人々の態度を理解することになった。
  彼は見たのだ。葬儀の教会と、そして無人の館の裏で。いるはずのない黒い服の女を。
中年のキップスは、録音技術による効果音にも助けられ、勢いを得て俳優との過去の再現に熱中していく。
  恐怖の体験から一夜置いた若きキップスは、町で事情を知るはずの人々に、自分の見た女が誰か、ドラブロウ夫人とその館にまつわる因縁が一体どんなものかを問いただそうとするが真実は闇の中だ。それでもキップスは再び館に戻り、自分の仕事を果たそうとする。
  再び館で迎えた夜。彼がそこで体験した出来事。その後の彼を襲う、さらに恐ろしい悲劇。
キップスの記憶が再現されるにつれ、劇場でも、奇妙な変化が起きていた・・・。

イギリス、スカーバラ、スティーヴン・ジョセフ・シアターにて世界初演。

ロンドン、ハマースミスのリリック・シアターにて上演。

ロンドン、ウエストエンドのストランド・シアターにて公演開始。

その後、プレイハウス・シアターを経て、1989年6月、フォーチュン・シアターに移り、今年で26年目の上演となる。フォーチュン・シアターのロングラン記録を更新中。

東京、パルコ劇場にて斎藤晴彦、萩原流行により日本初演。演出には、ロンドンよりロビン・ハーフォードを迎える。

東京、パルコ劇場にて斎藤晴彦、萩原流行により再演。演出は、前回同様、ロビン・ハーフォード。

東京、パルコ劇場にて、斎藤晴彦と新キャスト西島秀俊で上演。演出には、ロンドンよりジョン・デイヴィッドを迎える。

東京、パルコ劇場にて、斎藤晴彦、新キャスト上川隆也で上演。演出は、ロビン・ハーフォード。かめありリリオホールと名古屋、大阪、福岡の3都市でも上演。

東京、パルコ劇場にて、斎藤晴彦、上川隆也により上演。演出は、前回同様、ロビン・ハーフォード。大阪、名古屋、福岡、広島、札幌、仙台の6都市でも上演。

東京、パルコ劇場にて、斎藤晴彦、上川隆也により上演。演出は、ロビン・ハーフォード。大阪、札幌、仙台、新潟、名古屋、広島、福岡の7都市でも上演。同年、9月9日~13日にロンドン、フォーチュン・シアターにて上演。

1976年、俳優としてアラン・エイクボーンに所縁深いスカーバラのスティーブン・ジョセフ・シアターに参加。79年には演出家の一員に指名され、86~88年は芸術監督も務めた。77年の『Ten Times Table』から始まり、87年の『Henceforward』、二人芝居『Intimate Exchanges』を含む、エイクボーン作品のオリジナル・プロダクションには不可欠の俳優としても出演している。また、現在までに海外公演に加え、英国内の多数の劇場で演出を担当している。スカーボロでの芸術監督時代、驚異的な大成功をおさめた『The Woman in Black』を制作、演出。この作品はウエストエンドで現在26年目というロングランを続けており、英国内ツアーを幾度も成功させている。92年には日本語初演のため来日。その後4度演出のために来日している。
イギリス、ヨークシャーのスカーバラに生まれる。ロンドン大学在学中から小説を発表し、71年に5作目の小説『僕はお城の王様だ』(講談社)でサマセット・モーム賞を受賞。その後も話題作を生み、英国の三大文学賞(ジョン・ウエリン・リース賞・ホイット・ブレッド賞・サマセット・モーム賞)など数々の賞に輝く。作品はいずれも「傷つく者」を描いて共感に満ち、自然描写の美しさにも定評がある。小説以外に、脚本、批評、編集の分野でも広く活躍。
アラン・エイクボーンのスカーバラ・カンパニーで俳優として活動すると同時に、戯曲も執筆。いくつかの作品はスカーボロでエイクボーンの演出により上演されており、また、他の劇場からの委嘱による作品も数多い。代表作『Comic Cuts』は、テムズ・テレビ・演劇作家賞を受賞。その10年後、『The Glory of the Garden』と名を替え、ウエストエンドで上演された。オリジナル作品の他、ヘンリー・ジェームズ『ねじの回転』、ダフネ・デュ・モーリアの『レベッカ』をはじめとする演劇・テレビ作品の脚色も行った。2004年11月没。