映画、演劇、アート、文学界の鬼才、そして名優たち…。 未知の可能性へ挑む才能たちの二度とない出会いが創る、アートシーン最大の事件。 この秋、美しく悲しい恋を綴った名作が、新たな伝説として蘇る。 |
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演出:三池崇史 脚色:長塚圭史 美術:会田 誠 (原作:泉鏡花「夜叉ケ池」より) |
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この企画に演出家として挑むのは映画監督、三池崇史。今年「着信アリ」「ゼブラーマン」が公開されるなど、近年最も多忙な映画監督だ。彼が取り組む作品は、文豪・泉鏡花の大正期の代表作のひとつ「夜叉ヶ池」。 幻想と現実、人間世界と妖怪世界の対立する怪しい世界が美しく展開される物語である。 脚色は、演劇ユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」主宰の長塚圭史。 彼は、鏡花の独特の世界観を残しつつ、独自の視点で原作にないオリジナルストーリーも盛り込み、 滑稽さや悲しさを浮かび上がらせていくという。 また、アートディレクターは現代アートの異端児、会田誠。 そのメッセージ性の強い作品は日本国内だけでなく海外でも高い評価を受けている。 「劇場空間に一歩入った瞬間から物語がはじまる」という三池監督のラブコールに応え、舞台美術の概念を覆す視点で本作に挑む。 三池崇史は、舞台初挑戦について、「自分自身にどんな作用を及ぼすのか、ビビりながらも楽しみ。 鏡花の怪しい世界をうまく伝えたい。映像は手を加えることができるが舞台ではそれが許されない。 役者たちが観客に心からの拍手を浴びるものにしたい。今までになかった緊張感を味わっています。」と語る。 映画と舞台が互いに影響し、優秀な才能が相互に領域を超えて刺激しあっていくことは、欧米では決して珍しいことではない。この領域をこえた挑戦を、今の日本で考えられる、最高のスタッフとキャストで実現しようというのが、本企画「夜叉ヶ池」である。 |
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キャストは、毎日鐘をつくことで夜叉ヶ池の氾濫から村を守っていると信じる男・晃を武田真治、晃と夫婦になる百合を田畑智子、原作で背広姿の文学士として登場する学円を松田龍平、夜叉ヶ池の主で清濁合わせ持った美女・白雪を松雪泰子が演じる。「三池監督とだし、最初で最後かもしれない」と出演をきめた松田龍平、「この役は、どうしてもやりたかった」と話す松雪泰子、二人はこの「夜叉ヶ池」が初舞台となる。また、萩原聖人、丹波哲郎、遠藤憲一、きたろうなど、映画界の実力派俳優達が同じ舞台に集結しての競演となる。 |
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少し前の日本。夜叉ヶ池のふもと、越前鹿見村琴弾谷は日照りに苦しんでいた。 そこに村人たちから離れ、過去を隠すかのようにして古い鐘楼を守る男女がいる。萩原晃と百合の夫婦である。 夏の夕暮れ、一人の男が通りかかる。その男、学円は、晃の顔を見て声を上げた。二人は古くからの親友だったのだ。 学円に姿を消した訳を問われた晃は語りだす。旅の途中、ここを通りかかり、先代の鐘楼守であった百合の父の死に目に偶然遭ったこと。その昔、人間が夜叉ヶ池の龍神に人間が一日三度の鐘をつく約束をしたこと。もし破ると夜叉ヶ池から津波が起こり、村は水没してしまうこと。村人たちがこの約束を忘れ果てていること。百合の父に代わって晃が鐘をつき続けてくれるよう頼まれたこと。……百合の父親のあまりの迫力に打たれた晃は、幻想的な美女、百合と夫婦となり、この地で鐘楼守となって生きることを決意したのだった。 晃と学円は池へと出かける。家に残された百合は、人形を抱き、子守唄を歌い、孤独な夜を過ごす。 夜叉ヶ池の底にすむ池の主・白雪姫は千蛇ヶ池の若君に恋をしている。夜叉ヶ池を離れ、若君のいる千蛇ヶ池に行きたいが、人間が鐘をつき続ける限り、白雪姫は夜叉ヶ池にいなければならない。 地上では日照りに苦しむ村人たちが、百合を雨乞いの生贄にしようと、晃と百合の家を訪れる。村人たちが百合を牛の背に縛り付けようとしたその時、虫の知らせを聞いた晃と学円が駆け込んでくる。村人たちは、日照りのときは村一番の美女を生贄として差し出すことになっていると晃に告げる。晃はこれを拒み、村人たちと乱闘となる。百合は胸を鎌で切り、自殺する。 「一人ではやらん、冥土で待てよ」と晃は叫び、自ら喉を切って百合の後を追う。 人間が龍神との約束を破ったその時、鐘楼守を失った鐘が崩れ落ちる。激しい雷鳴、あふれ出る水。池の底では、もう人間との約束を守らなくてもよくなった白雪姫が、やっと千蛇ヶ池の若君のもとへ行かれると喜ぶ。 やがて水中で安らかに微笑んでいる晃と百合の幸せそうな姿が見えてくる。 (原作:泉鏡花「夜叉ヶ池」より物語一部抜粋) この美しく幻想的な悲恋物語の名作に長塚圭史が挑み、今秋、新しい「夜叉ヶ池」が誕生する。 |
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