マーティン・マクドナーの芝居を観る時に一番大事なのは、良心を捨てることだ。もし、これを読んでいる方の中に、今劇場にいてこれから『ハングマン』が始まるという幸運な方がおられれば、すぐに良心を捨てていただきたい。登場人物への共感とか、遠慮とか、倫理観とか、人間らしい優しさとか、そういったものを一度停止して、この後舞台でどんなにひどいことが起こっても、冷たい心で「バカだなぁ」と笑える準備をしていただけると嬉しい。これからマヌケな人々や正気とは思えない人々がとんでもないことをやらかすが、かわいそうだとは思わず、おかしいと思ったら我慢せずに吹き出そう。バカな登場人物に同情しなくていい。『ハングマン』に出てくる人たちは、どうしようもないくらいバカなのだ。この事実を認めよう。
マクドナーは舞台と映画の両方で活躍しているが、その作品の一番の特徴は、観ている私たちを挑発するようなブラックな笑いをこれでもかとぶつけてくるところだ。とんでもない状況で偶然のように陰惨な暴力が発生するが、大部分が悲しいとか怖いというよりは、面白おかしいドタバタとして提示される。人間の愚かな行為が、徹底的に笑われる。ここで笑っていいのだろうかと思うようなところでも、ほとんど無理矢理笑わされてしまう。バカな行為のせいであれよあれよという間にどんどん悪化していく状況は、シュールなくらいだ。
シュールな笑いを提供してくれるマクドナーの作品だが、設定は比較的リアルだ。ところどころで台詞に差し挟まれる地名や商品名は、舞台がどこで、どの時代なのかということを示す小道具だ。イギリスやアイルランドの観客であれば、そうした台詞に出てくる土地やモノに対してある程度イメージが湧くので、描写がリアリティを増すところがある。ただ、日本で観るぶんには、わからないことのほうが多いだろう。初めて観る時には、こうした細かいところにとらわれる必要はない。とりあえずリラックスして、良心を捨てて笑うつもりでいれば、それで十分楽しめる。
〈一部抜粋〉
武蔵大学 人文学部英語英米文化学科 准教授。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論修士課程修了。キングズ・カレッジ・ロンドン英文学科博士課程修了。専門はシェイクスピア、フェミニスト批評、舞台芸術史。近著に『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち 近世の観劇と読書』(白水社)、主な編著に『共感覚から見えるもの アートと科学を彩る五感の世界』(勉誠出版)など。