狭き門より入れ

CONCEPT by 前川知大

 物語の大きな設定である「世界の更新」はキリスト教など一神教の終末論を題材にしたフィクションです。
それは乱暴に言ってしまえば、ある時世界はリセットされ、選別された人だけが新しい世界へいける、というものです。良き人であれ、ということかもしれませんが、排他的な側面もあります。
 現代の環境的、政治的、経済的な混乱からくる不安は、天変地異や事件を何かの前触れであるかのように感じさせます。つまり終末への兆候です。現代は複雑化され、問題の原因がどこにあるのか、一口で語ることはできません。なぜそれが起こったのか、明確な回答が出ない時、あるいは理由などそもそも存在しない時、私たちはそれに意味を求めたくなります。世界の不条理とどう付き合うかで、社会の状況も見えてくると思いますが、地震や噴火を神の怒りとした古代と、人の心理はさほど変わっていないのかもしれません。
 理性的に考えて、地震も温暖化も不況も神の怒りではないでしょう。ただ、そのように感じてしまう気分は確かに私たちの中にあり、このままではいけない、という素朴な不安を否定する気もありません。この作品では、「更新」というフィクションを借りて、その不安の行き先を考えてみようと思います。
 現状を終末への兆候と考え、終末を生き延びるために準備するのか、なぜこうなったのか、と現状の原因を追究するのか、二つの態度があるとします。正解はわかりません。終末に間に合わないかもしれないけど、
原因を解明して終末を回避しようする態度が、実は避けられない終末を生き延びる条件ということも考えられます。
 ノアの方舟のイメージも題材として入っています。ノアは神に選ばれ、大洪水を生き延び、新しい世界を作りました。ノアはなぜ神に愛されたのでしょうか。
 物語には二人の男が出てきます。終末の向こうにある新世界のために生きる男と、今ある世界に賭けようとする男です。神に愛されようとする男と世界を愛そうとする男、世界とは隣人と言い換えることが出来ると思います。
 その二人の周りには、それぞれの不安や絶望を抱えた人たちが登場します。「更新」をどう捉え、超えていくのか、各人の態度が試されます。
 大洪水に流された者の立場から見ると、ノアは世界を見捨てました。方舟に乗る決断は、どこか現状に目をつぶるような、思考停止を思わせます。誰もが箱舟に乗れるわけではありません。残された者の視点として、現状をどう打開していくか、その覚悟を決めることが現実的と考えます。新世界への移行によって、人がもう一つ階段を上ることになるとしても、それはまだ先のことでしょう。ひょっとしたら、現状に向き合う覚悟こそ、大切な一段なのかもしれません。
 家族、会社、町、国、自分の周りには何重もの枠組みがあります。どこまでが自分の世界なのか、家族の崩壊から戦争まで、どこまでが自分の問題なのか。
「この世界は他人事(ひとごと)じゃない」
 誰もがそう思えれば、ほんの少し未来に希望が持てるかもしれません。

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