「バトルフィールド―戦い終わった戦場で―」は昨日初日を迎えました。
お客様はそれぞれの感想を抱きながら、本作をご覧になっていたように思います。
この「バトルフィールド」の公開ゲネプロをご覧になった高校生モニターの皆さんから、感想文が到着しましたのでご紹介します。瑞々しい言葉の数々で綴られた素直な感想をどうぞご覧ください!
そして、皆様もご観劇いただき、それぞれの感想と比べてみていただけたらと思います。
上演時間が70分とは思えないほど、体感時間がとても長く感じた。ただし、退屈ではなかった。舞台装置も至ってシンプルで、照明や音響が派手に動くこともなかったけど、役者が一人一人自分の口でこのストーリーを私たちに伝えてくれた。エネルギッシュだった。その上私は、丁度、世界史の授業でグプタ朝を習っている。ダールマやバラモンも。だからこそ、私はこの4人がどんな言葉を届けようとしているのかが字幕によって妨げられていると思った。あれほど英語をつらつらと話しているのに、日本語で表現されるとあれだけの情熱すらも平面的な短文に収まってしまう。これほど悔しいことはない。何故、最後、布に包まれたのか。休息とは?さっぱり分からない。これは、私の知識と経験不足か、はたまたこの劇の世界観のためなのか。エネルギーは通じたのに、何を捉えたらいいのか私が掴み忘れてしまいました。ごめんなさい。思考が通じ合える自信ができたらまた観たいです。
「ピーター・ブルックといえば…」というと、自分は「何もない空間」をイメージする。舞台上には、具体性なんてものは決してなく、布や箱を何に用いて、広い舞台を4人でどう活用するのだろうとわくわくしていた。
音について言うと、生演奏で劇場の広さを活かした響きにうっとりした。それもあって作品の一部となり、僕には演奏者が物語の神様のように見え、楽器ですべてを司っているかのように思えた。
役者はナレーターにも明確な人物にもなり得るが、そのせいか「俳優」として人物をとらえてしまい、神様に従って動いているという風に解釈を試みた。貧者に分け与えるところは演出家と役者のユーモアが感じられ、気が抜けると同時に一体感を得た。
照明も物語るかのように、演奏者を照らす明かりは一定であり、ホリや他の明かりは世界の激動をイメージした。
9時間の超大作は少しお手上げだが、3部作の抜粋を観てみたいと思った。
ピーター・ブルック氏の作品ということで、とても楽しみにしていました。終始、神話を語るような形で客に投げかけているようでした。客は投げかけられた言葉に対しあの広い空間を想像力で埋めていかなければなりません。その作業が実に楽しく、また難しくもありました。あの新国立劇場の中劇場を今までに見たことのないやり方で、とても上手く使っていました。余計な音響などは使わず、物語の緩急を楽器でつけるのには驚きました。何とも言い表しようのない、上品な舞台だなと思いました。カーテンコールの際、役者の少なさに感動を覚えました。壮大な神話がこんなに少ない役者でも語り継げるのだと思ったからです。なぜだか分からないのですが、役者に親近感を覚えてしまいました。
私は日本語以外で上演される劇を見たのは初めてでした。
どのように内容を理解させるのかなと思ったら舞台の上の方に日本語訳が表示されました。文字を見ながら演技も見るというのは私にとって少し大変でしたが、表情や声から感情を読み取っていくのは日本語の劇とは違う面白さがありました。喋っている言葉の意味があまりわからなくても伝わってくる感情から表現力の凄さを感じました。
またこの劇は舞台装置がとても少なくて二つの黒い箱だけでした。そのため広い舞台で一人一人の動きがとても強調されていました。そしていくつかの布をいろいろな場面でいろいろな使い方をしていて面白かったです。
音響も照明も少なく全体的にシンプルな感じがしました。音響は打楽器ひとつだけでした。その演奏で始まり終わるというのがなんだか不思議で世界に引き込まれていく様でした。
人間だけで全てを表しているようなそんな感じのする劇だったと思います。
予備知識がほぼ無い状態で観てしまったのが一番の残念なところで、例えばマハーバーラタの登場人物やあらすじなどを知っていればもう少し分かりやすく観ることができたのかなと思う。
シンプルな舞台がとても印象的であった。創っていく側がとてもたくさんの事を考えた上で最小限まで物を削っていったのだなと感じた。照明の変化、舞台上の移動だけで場面の場所だけでなく時間も飛び越えていけることに驚いた。
一番印象に残っているのは戦場に何百万もの死体が大地を埋めているというような表現の時で、果てし無い大地の広さと空虚さ、満たされない心の渇きなどを感じた。勝利を素直に喜ぶことができない状況と戦場で散っていった兵士への愛惜の念。
4人の役者の関係がコロコロと変わっていくのを布などを使ってよく表現していたと思う。
創っていく側がとてもたくさんの事を考えた上で、最小限のシンプルな状態まで情報を削っていったその過程を観てみたいと感じた。
もう一度観たらなにか分かる気がする。
日本語以外の言葉を使った芝居を観るのは初めてでした。だから、字幕を見ながらというのも初めての経験でした。初めは字幕を見ながら演技をみるというのがとても忙しく感じました。でも、みているうちにそれにもなれてきて字幕を見なくてもわかるところは演技をみることに集中できて、わからないことは字幕をみることで、どんなことを話しているのかわかるし、日本語にはないような言葉や表現があって楽しめました。
また、舞台上がとてもシンプルになっていることが印象的でした。最初はこれをどうやって使うんだろうというものが沢山あったけれど、芝居が進むにつれて、色々なものに変わることがわかって、とてもおもしろかったです。
今まで観た舞台と違い、物語を演じるというよりも語るという感じがしました。舞台中の音響がほとんど太鼓のみで、照明も変化があまり激しく、また、舞台に置かれている小道具もほとんどない中でも、役者の衣装やその時の感情の表しによって場面が変わったんだなと感じることが出来ました。
今回は、役者さんが全て外国人で英語で舞台が進んでいたのと同時に上に日本語訳を映したスクリーンが設置されていましたが、その配置場所がとても役者と近かったための、日本語訳を見ながら劇も見れてとても便利でした。
私は、日本語の舞台しか見たことがなかったので英語で進められるBattlefieldを楽しみにしてました。観ててとても興味深い劇でした。ありがとうございました。
新国立劇場中劇場の舞台は、幅も高さも奥行きもある。この大きな空間を、ほぼ道具を使わずに、たった4人で埋めること。それが素直に凄いと思った。埋めるのには「音」が大きく影響している。広い空間に役者の身体から発される「音」と演奏者の奏でるジャンベの「音」が響き、一見余っているかと思われる空間は、すっかり舞台の世界の一部になっていた。何もない、殺伐とした、戦場。照明も全く主張せず、ただ自然に、しかしとても効果的に働く。「音」や「光」は、役者を際立たせる。
こうした研ぎ澄まされた空間で、素材―役者本来の持つ身体性は最大限に引き出され、観客は「生きた人間」を強く感じる。演出家ピーター・ブルックは、時代も場所も状況も全く違う私たち観客に、『マハーバーラタ』と現代社会を自然に重ね合わせて観るように仕向けたのだ。登場人物も私たちも同じ「人間」であり、争うことはいつの時代でも愚かだ。そして同時に、自分を正当化したり相手を責めたりはせず、互いに尽くしあうことの大切さを教えてくれた。
『完全な善人も悪人もいない。』
戦争に勝ったって何の意味もない、そう悟った王は敵も味方もなく世界のすべてを愛し、尊大な王になっていった。相手の立場に立って。支えあって。そんなことは当たり前のことのようだけど、今の私たちが生きている社会では本当に当たり前だろうか。世界が著しく変動する中で、人間の変わらない真理を説く『Battle field』は、まさに今世界で上演すべき現代の舞台だ。
私は、外国の方の劇を観るのは今回が初めてでした。日本とはちがう表現の仕方、迫力の違い、演出のつけ方の違いなど、たくさんの違いがあったように感じました。
字幕が出ることも新鮮でした。劇と字幕を両方観なくてはならないので、劇中は大変でしたが、理解しようとするのがかえって良いのでしょう。
それが良いか悪いかは人それぞれだと思いますが、このように違う文化に触れることができたのでよかったです。
私は今回の「battlefield」で初めて英語の劇を観ました。
海外作品に触れる機会が少なかったのでとても新鮮でしたが、正直に言いますと翻訳を自分の目で追いかけるのに精一杯で内容を理解するのにとても苦労しました。それは、私が慣れていないせいと、物語が私にとって難解だったからです。なので、家に帰ってから「マハーバーラタ」について少し調べてみました。
すると、マハーバーラタはインドの叙事詩であり世界最大量の詩からなっていて哲学的で、ある種の精神論のようなものだと分かりました。
戦争や死を泣かせるような台詞で派手に言う劇も素敵だと思いますが、静かに、沈黙の中に見出すような劇に出会えて幸せだと思いました。今この時代だからこそ、内容を理解した時に初めて心に響くようなbattlefieldを面白いと思いました。
「バトルフィールド―戦い終わった戦場で―」は、29日(日)まで!
28日(土)の昼公演終了後には、演出のマリー=エレーヌ・エティエンヌによるアフタートークショーもございます。
次はいつ観られるかわからないピーター・ブルック作品です、どうぞお見逃しなく!