10/30(土)の埼玉公演で開幕し、本日よりPARCO劇場にて上演いたします舞台「
ザ・ドクター」。
演劇を学んでいる大学生・高校生の方より埼玉公演の劇評・感想を頂戴いたしましたので、ここにご紹介させていただきます!
<大学生の方からの劇評>
私はこの作品を観て、現代社会を象徴的に描いているように感じました。ルース・ウルフという一人の医者が下した判断に対して、世間から批判が殺到することから、この物語は始まります。一秒単位で事件が大きくなっていくスピード感は、劇場の外にある現実を際立たせていたように感じました。主人公のルースが下した判断に対して劇中で度々、論戦が繰り広げられるのですが、登場人物各々の正義がぶつかり合う言葉の応酬はとても見応えがありました。またそこには主人公の人種や、信仰、性別、社会的階級などが交錯し、複雑さを増していきます。この価値観の複雑さは現代社会と重なり、価値観の違いを原因とした世界各地の分断を想起させました。私はこの劇を観ながら異なる他者と、どのように折り合いをつけていけばいいのだろうと感じました。決して相手は悪者ではなく自分と異なる価値観を持っているだけなのに、どうすれば分断することなく共に歩むことが出来るのだろうと思いました。物語の最後にルースと神父であるジェイコブが対話するシーンが印象的で、元々争っていた二人がお互いを尊重して話し合うシーンにとても希望を感じたのです。
私は社会に足りていないものは常々対話だと思っています。対話をすっ飛ばして自分の価値観を押し付けたり、異なる価値観を批判したりして、論破させた方が勝ちといった議論が至る所で見られますが、そうではなくお互いの価値観を尊重し理解することを目指した対話の必要性を本作を観て感じることが出来ました。
日本大学芸術学部演劇学科4年 池村 爽さん
今回の劇評を書く機会をいただけて幸運です。中国の演劇専攻の学生として日本で素晴らしい作品を見ることができてとても感動しています。役者さんたちの演技だけでなく、ステージ全体もとてもよかったです。すじが絡み合っていて、姿は見えないのに主人公の声が聞こえてくると、すぐに舞台の雰囲気の中に入っていきました。医学や宗教、歴史認識、人種などさまざまな面での違いもあいまって、医師たちもまた医学上、宗教上の主張により対立します。異なる立場、考え方から生まれる対立は、観ていて少しも退屈を感じることはなく、登場人物の一人一人の性格を浮き彫りにしました。
「医師」と「ひとりの人間」との間で揺らいでいくシーンがとても印象的でした。広々とした部屋に、薄ぼんやりした照明、二人の友達だけが付き添っていました。何度も逃げたり、向き合ったりしながら、最終的には自分の選択を確信して、メディアと向き合っていく姿は、本当に感動的でした。役者たちは役にいっぱい感情を込めて、セリフも流暢で、動きも無駄がありません。特に主人公のボディランゲージはリラックスかつパワフルです。一つ一つの動作と動作のつながりが心地よく、見ているうちに彼女と自分が一体化したような気がしました。
舞台については未熟ながら考えたことがあります。この芝居は心の慰めと衝撃を与えることができるから、小劇場でやったほうがいいのではないでしょうか。遠距離、大空間のステージでは隔たりがあり、観客席に伝わってくる、空間と俳優の一体感が薄くなった気がします。小劇場では俳優たちの感情の微細な変化を観客に感じさせるし、感情を伝えるのがより速く、より直接届くかもしれません。鑑賞するよりも、みんな一緒に「場をつくり、情動を共有する」ほうがこの芝居には合っていると思いますが、いかがでしょうか。
日本大学芸術学部大学院修士1年生 張上藝さん
マスクをつけた観客、そしてその中の1人である自分。開演前、ホールに入る人の波を見て「同じ」だと感じた。アイデンディティとは個性であり帰属意識である。 しかし終演後、私は一人一人「違う」と感じた。
ホールに入ると白く無機質な空間に蛍光灯の光に照らされた白い机が置いてある。三方を壁に囲まれ壁際にはベンチやソファの置いてあるこの空間を病院だと思った。しかし中央奥には役者の背丈を遥かに超えた、壁を四角く切り取った大きな出入り口がある。
冒頭、暗転の中で医師ルース・ウルフ(大竹しのぶ)の「どっちにしたらいいの」という声から始まる。舞台は彼女の創設したエリザベス研究所、14歳の自ら妊娠中絶をした敗血症の少女の消えゆく命を前に神父ジェイコブ・ライス(益岡徹)が少女の両親から頼まれたという臨終の典礼を与えようと集中治療室へ入ろうとするも、ルースにそれを拒まれほどなくして少女は神父に面会する前に亡くなる。これに対し神父は典礼を拒絶されたと怒り、事件はインターネットで広まり数万人規模の署名運動に発展し、このことは病院出資者の耳にも入り広報や医師たちは机を囲み病院の運営、信仰、自身のステータス、人種について白熱した議論の末にルースは病院を去り自宅で休暇を取ることになる。自宅ではパートナーのチャーリーや近所に住むサミと共に過ごしていたが、世間で話題の人物となったルースは打診されていたテレビのディベート番組に出演することを決める。番組で様々な角度からルースは攻め立てられ、自宅に戻った彼女を訪れた神父と2人で会話をする。
この芝居にはアイデンティティという言葉が多く使われ、戯曲の言葉そのままに「私は黒人だが…」と日本にルーツを持つ役者が白人、黒人、ユダヤ、カトリックの立場を語り議論を進める。カトリック教徒にとって典礼がいかに大事か、ユダヤ人や黒人にとって歴史がいかに大事か、無意識に持つ自身の価値観の中で誰かを差別しているのではないか。これはたった一つの事件ではなくその裏に隠れた意識の問題なのだ。
「人間である前に医師だと思っています。」
一幕の終わりにルースは病院のパスを返還する。医師でなくなった自分は何者か、自分を表す記号がとれた時には何が残るのか。
最初は病院だと思った白い空間が、神父とルースのおだやかな会話では教会になった。違和感を感じた中央の大きな出入り口が門であり窓でありここは医師と神父という役割ではなく人や魂が還る場所だと感じた。しかし、それにしては神父の語るカトリックの考え方に比重が大きいように思える。
そして全体の違和感は空間の広さだと気づいた。初演のロンドン、アルメイダ劇場は325席の日本上演バージョンよりも小さな劇場らしい。ホールに作られたこの空間では狭いコミュニティの中で無意識に自分のステータスや種類分けをしてしまっている、という表現を理解するのに時間がかかった。熱狂とは狂わんばかりに夢中になることだ。作中の登場人物の熱と観客の熱は別のところにあったように思える。ただ、離れたところから俯瞰的に作中の問題を捉えることで自身のアイデンディティに気づくきっかけになるのではないだろうか。
日本大学4年 Y・Mさん
土曜日の夜にこの劇を鑑賞しました。観劇後すぐにこの劇について、いろいろな感想が湧き上がってきました。まず、俳優たちのセリフ力はとても素晴らしいと思います。二時間半の公演は衝撃的で、深い印象が残りました。この劇の核心である「宗教的矛盾」は、中国人も日本人もほとんど宗教を信仰するわけではないので、日常生活ではあまり見られません。しかし、主演の大竹しのぶは、医者としての倫理、世論の圧力、宗教の圧力という三つの「山」に圧迫され、つい初心を見失い、最後に初心を取り戻す過程を演じる演技が、まさにその役になり切ったものだと言えます。心から深く感銘しました。
しかし、私の個人的な印象に過ぎないかもしれませんが、前半のセットはあまりにも単調だと感じました。家と病院のシーンの切り替えは回り舞台と照明効果の使い方が、最初は「巧みだ」と思いましたが、一時間続いたら、視覚的な疲れを感じてしまいました。また、少女の死亡は医者によって語られるだけで、少女の最期の様子や病棟外の神父の焦りが舞台で見えないので、よりはっきりとした感触を感じることができません。そして、音響についてはまだ高められる余地があると思います。
日本大学芸術学部大学院 葛兆正さん
エリザベス研究所の創設者であり所長のルースが、敗血症で運ばれた少女の死から医師である自分について考え直していく物語である。ルースが、病院に運ばれた少女の家族の「カトリックの神父ジェイコブを少女の傍に置いて欲しい」という希望に沿わず面会謝絶をしたことから、ルースは世間に批判されていく。ルースは最後まで医師として生き抜くため、ルースの考えが変わることはなかった。そのためこの作品は、主人公の思考の変化を楽しむ物語ではない。
「人間である前に、医師だと思っています」という本作のキャッチコピーおよび劇中でのセリフからは、医師であるルースの自分勝手さや無慈悲さを感じる。しかしそれは、長年エリート医師として過ごしてきたルースの信念であり、それをねじ曲げることなど誰にもできないのだ。
ルースは自身に関するディベートが白熱していく中で、元は男性として生を受け、現在は女性として生きているルースの隣人であるサミのことをテレビでアウティングしてしまい、サミに酷く非難される。このシーンは医師としてというよりも、人間として欠落しているものがあることを明確に示しているように感じた。
白い部屋のセットは病院にも、ルースの部屋にもなる。見ようによっては教会のようにも見える。この白い部屋と同じく、ルースも医師であるだけでなく、1人の女性であり、1人の欠落した部分を持つ人間なのだ。人間が持つ強い信念を曲げることは難しいということと同時に、人間は見せる側面によって全く異なる印象を与えるのだということを伝えたい作品であったと考えている。
Yさん
<高校生の方からのご感想>
今の時代では誰にでも起こり得る状況が多く散りばめられていて考えさせられました。いくつもの問題に発展していったが結局は一つの行動から広がっていったので、これは日常の自分の行動、言動にも気をつけたいと思いました。 しかし、認知症のパートナーと過ごしてきた経験がありながら、どこか自己中のような言葉が多く、最後に繋がりづらかったです。
舞台がシンプルだけど中央のテーブルの回転が印象的で素敵でした。窓からの光が入る事で家になり、一つのセットで色んな空間が見えて面白かったです。一度では理解しにくい内容だと感じたのでもう少し考えたいと思う舞台でした! 貴重な機会を有難うございました!
舞台「ザ・ドクター」は2021年11月28日(日)までPARCO劇場にて上演中です。
その後は、兵庫、豊橋、松本、北九州にて上演いたします。
詳細は下記作品ページより各公演ページをご覧くださいませ。
https://stage.parco.jp/program/doctor/
沢山のご来場お待ちしております!