マイ・ファースト・シェイクスピア(翻訳家 松岡和子)〜後編〜

マイ・ファースト・シェイクスピア(翻訳家 松岡和子)〜後編〜

2024年3月27日(水)

 2024年3月8日(金)より東京芸術劇場 プレイハウスで上演中で、2024年4月、新潟・愛知・大阪・福岡・長野と巡演する「リア王」。5月11日(土)より東京・PARCO劇場で開幕する「ハムレットQ1」
 ともに翻訳を務めるのは、全37戯曲個人訳による『シェイクスピア全集』を2021年に完結させた松岡和子さんです。
 
 シェイクスピア作品と聞くと難しそうに感じたり、あまりなじみがない方でも存分に楽しめるように、シェイクスピアの人物像や面白いエピソードをお聞きしました!
 
> マイ・ファースト・シェイクスピア〜前編〜 はこちら!
 

 

リア王の魅力

 
交わるプロット

 私が『リア王』の中で一番感動的だと思っているのは、目を潰されたグロスターと頭がおかしくなってしまったリアがドーヴァーの海岸で再会する場面(四幕六場)で、稽古場で初めてそのシーンを見た時、リアの段田さんとグロスターの浅野さんが素晴らしくて感動して泣いてしまいました……。
 1998年に新国立劇場で上演した『リア王』を翻訳する前に、ピーター・ブルックが監督した映画バージョンの『リア王』を見たのですが、四幕六場に当たる場面が感動的で、この場面を書くためにシェイクスピアは『リア王』という芝居を作ったのではないかと思うほどでした。
 シェイクスピアの戯曲の中でも、例えば『マクベス』はメインプロット(主筋)のみで構成されています。マクベス夫人と二人で王様を殺して、そのあと二人ともおかしくなってしまい、最後は夫人が自殺し、マクベスも戦いに負けてしまうという1本の筋の話。『ハムレット』もどちらかといえば、ハムレットが復讐するかしないかという1本の筋の話です。
 一方で、『リア王』には主筋と副筋があります。主筋がリア王と三人の娘の話。副筋はエドガーと二人の息子の話。主筋・副筋それぞれが親と子供の問題で、どちらも親が酷い目に遭います。娘・息子の中でもいい娘(コーディリア)・息子(エドガー)、親に酷い仕打ちをする娘(ゴネリル・リーガン)・息子(エドマンド)というように、合わせ鏡のように進み、その主筋と副筋が交わるのが四幕六場なんです。
 
何層にも重なるイメージ

 リアとグロスターがそれぞれ酷い目にあって、リアが「We came crying hither. (我々は泣きながらここへやってきた)」と言います。酷い目にあった二人の様子をよく表している台詞だと思います。1998年に新国立劇場で上演した『リア王』を翻訳したとき、私は最初ここを「我々は泣きながらこの世に生まれてきた。」と訳してしまいました。後の台詞で「生まれ落ちると泣くのはな、この阿呆の檜舞台に引き出されたのが悲しいからだ」という言葉があり、この展開を先取りして訳したくなるんです。でも、読み合わせのとき、それは間違っていると気付きました。もしリアとグロスターという二つの筋が合流して、「我々は泣きながらこの世に生まれてくる」と訳してしまったら、二人が酷い目に遭って、本当に文字通り血の涙を流しながら”ここ(ドーヴァー)”に来たという意味が消えてしまいます。
 “この世”という言葉を使うことで、格言や金言としては格好いいと思いますが、これは格言・金言にならないけれど、”泣きながらここへ来た”という意味を残さないとダメで。”ここ”というのは、ドーヴァーの海岸の白い砂浜であると同時に、”この世”という舞台とダブルミーニングであるということを後の台詞で分からせなくてはならない。シェイクスピアはそういう風に書いているので、「We came crying hither.」 の”hither”は”この世”ではなく”ここ”と訳さなくてはいけないんです。確かに、”ここ(ドーヴァー)”にリアとグロスターは泣きながらやってくるけど、主語である“We”を”人間”と大きく捉えると、”hither”が”この世”に読み替えられるし、“crying”は、今ここで血の”涙を流している”ということではなくて、そもそも人間が生まれる時にオギャーオギャーと”泣く”という”誕生の声”であると同時に、こんな世の中に生まれてしまったという”泣き声”なんだよというように。とても悲観的なのですが……。シェイクスピアの台詞が面白いのは、一つの言葉に二つあるいは複数の意味がこめられていることなんです。訳すのに非常に注意しなくてはいけないところでもあるのですが、一層の意味の下に何層も意味とイメージが隠れている、仕込まれています。
 
日々アップデートしていく翻訳

 例えば『マクベス』の「tomorrow and tomorrow and tomorrow」という有名な独白の台詞があるのですが、この「tomorrow」には「明日」という意味と、前置詞「to」の「どこどこへ」という意味、古語「morrow」の「朝」という意味が重なっています。なので「明日(あす)」と訳すと「朝へ」という意味が消えてしまいます。このような場合、翻訳者は多層に重なる意味のどれかを選んであとは泣く泣く諦めないといけません。つまり、翻訳者によってどの意味を選んでどの意味を諦めるのかで訳が変わってくるということです。そのため、同じ戯曲でも何人もの翻訳者がチャレンジし、何種類もの翻訳ができるんです。
 この『マクベス』の独白を、私は最初「明日(あす)も、明日(あす)も、また明日(あす)も」と訳したのですが、今は「明日(あした)へ、また明日(あした)へ、また明日(あした)へ」としています。「明日(あした)」は日本語でも朝という意味があるからです。最初に『マクベス』を訳したのは1996年ですが、決定稿を去年出版しました。訳が更新されていくので、熱心なファンの方は何冊も買ってくださっているみたいですね。
 

~シェイクスピアに馴染みがない方に向けた『ハムレットQ1』の魅力~


 5月にPARCO劇場で上演する『ハムレットQ1』の魅力は、まず短いということです。『ハムレット』というと独白が有名です。長い有名な独白だけで四つあり、短いものも入れると七つ程あります。『ハムレット』には三種類の原本(1603年出版のQ1版,1604年出版のQ2版,1623年出版のF版)があり、今回上演するQ1版では、四大独白のうちの一つがありません。そして、全体が短い分、ハムレットもぐちゃぐちゃ悩み考えません。だけどポイントは全部押さえてあります。ですから今回のQ1版はいわば『倍速ハムレット』のようなものだと思っていただければ。シェイクスピア作品に馴染みがない方にもぜひ見ていただきたいです。”倍速”ということで、残念ながらQ2など他の版と比べると深みがなくなってしまう部分は、演出の森 新太郎さんがQ2版やF版からいいセリフを持ってきて加えることを考えられています。だから正確に言うと、今回のはハムレットQ1+αで、いいとこ取りの作品になると思います。
 

~シェイクスピアの楽しみ方~


 シェイクスピアの作品は、読む・観る年代によって共感するキャラクターが異なり、作品の印象も変わります。それでも、共感できるキャラクターが必ずいると思います。まず第一歩として、自分をキャラクターに重ねて、その視点から観てみていただければと思います。例えば、『ロミオとジュリエット』だと、まずは恋する男の子・女の子に共感して、年を重ねると、親の視点から登場人物の気持ちが分かるようになってきたり。若い頃に観劇して、何年か後に同じ作品を観ると、また違った見方ができるという楽しみ方ができるはずです。
 『リア王』も若い方がご覧になるのだったら、この頑固親父(=リア)嫌だなという視点で観ることは十分あり得ます。シェイクスピアのすごいところは、色んな解釈を許していて、そういう風に見ればそう見えるように描かれていることです。
 『リア王』の面白さは、変な人ぞろいなところにもあります。特に後半になってくると、それぞれの価値観に固執している、ある種のモンスターのような人ばかりになります。だから、そのモンスターのぶつかり合いというふうに見ると、本当におかしい変な芝居だと思っていただけるのではないでしょうか。”不条理”という言葉をたびたびショーンさんが稽古場でお使いになりますが、理屈に合わないというのが”不条理”ということで、もう少し砕いて言うと”変”なんですよね。変人ぞろいなのでうまくいくはずがないのですが、最終的にリアは変わったのか、変わらなかったのかというところも大事なポイントだと思っています。今まで、名立たる俳優がリアを演じてきましたが、それぞれ違うリアです。どれも間違いではなく、俳優としての資質が反映されたそれぞれのリアがいるのだと思います。今回段田さんが演じるリアを観ていて、”ラブリー・リア“という言葉が浮かんできたのです。この言葉がアタマに浮かんだとき、自分で自分にびっくりしたんですよね。リアがラブリーって、あり得る?と。でも、それだけ段田さんのリアに独自性があるということです。
 
 

<松岡和子 プロフィール>
旧満州新京(長春)生まれ。翻訳家。演劇評論家。シェイクスピア全37戯曲を個人で完訳した『シェイクスピア全集』全33巻(ちくま文庫)を刊行。その功積により、第75回毎日出版文化賞[企画部門]、第69回菊池寛賞、第58回日本翻訳文化賞、2021年度朝日賞、第14回小田島雄志・翻訳戯曲賞 特別賞、第19回坪内逍遥大賞を受賞。主な著書に『深読みシェイクスピア』(新潮文庫)、『すべての季節のシェイクスピア』(ちくま文庫)、共者に『決定版 快読シェイクスピア』(新潮文庫)など。

 

 
舞台『リア王』東京公演は2024年3月31日(日)まで池袋・東京芸術劇場 プレイハウス にて絶賛上演中!
>詳細はこちら
【公演情報】
PARCO PRODUCE 2024
『リア王』
作:ウィリアム・シェイクスピア 翻訳:松岡和子 演出:ショーン・ホームズ 美術・衣裳:ポール・ウィルス
出演:段田安則 小池徹平 上白石萌歌 江口のりこ 田畑智子 玉置玲央 入野自由 前原滉 盛隆二 平田敦子 / 秋元龍太朗 中上サツキ 王下貴司 岩崎MARK雄大 渡邊絵理 / 高橋克実 浅野和之

東京公演:2024年3月8日(金)~31日(日) 東京芸術劇場 プレイハウス
新潟公演:2024年4月6日(土)~7日(日) りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・劇場
愛知公演:2024年4月13日(土)~14日(日) 刈谷市総合文化センターアイリス 大ホール
大阪公演:2024年4月18日(木)~21日(日) SkyシアターMBS
福岡公演:2024年4月25日(木)~26日(金) キャナルシティ劇場
長野公演:2024年5月2日(木) まつもと市民芸術館 主ホール
 
 
舞台『ハムレットQ1』東京公演は2024年5月11日(土)より渋谷・PARCO劇場 にて開幕!
>詳細はこちら

【公演情報】
PARCO PRODUCE 2024
『ハムレットQ1』
作:ウィリアム・シェイクスピア 訳:松岡和子 演出:森新太郎
出演:吉田 羊 飯豊まりえ 牧島 輝 大鶴佐助 広岡由里子
佐藤 誓 駒木根隆介 永島敬三
青山達三 佐川和正 鈴木崇乃 高間智子 友部柚里 西岡未央 西本竜樹
吉田栄作
 
東京公演:2024年5月11日(土)~6月2日(日) PARCO劇場
大阪公演:2024年6月8日(土)~9日(日) 森ノ宮ピロティホール
愛知公演:2024年6月15日(土)~16日(日) 東海市芸術劇場 大ホール
福岡公演:2024年6月22日(土)~23日(日) 久留米シティプラザ ザ・グランドホール 

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