斎藤幸子

REVIEW

家族の「再生」下町に託す

<2001年4月23日 朝日新聞夕刊より>

 幼児虐待のニュースが後を絶たない。親子のコミュニケーションギャップも縮まらない。日本の家族はどこか変だ。鈴木聡作・演出によるラッパ屋公演「斎藤幸子」は、そんないら立ちをひと時いやし、軽やかな笑いの中から「家族」のあり方を考えさせる舞台だ。
 東京下町のもんじゃ焼き屋の娘・幸子(岩橋道子)は、毒ガエルにかまれて生死の境をさまよったことをきっかけに人生を考えてしまう。ところが、周囲の人たちから見れば、それが勘違いの連続。
 高校の担任(木村靖司)と駆け落ちするわ、あっさり別れて事業家(義若泰祐)とつき合い女性社長をめざすわ・・・・・・。父(おかやまはじめ)や姉(弘中麻紀)、家族同様の隣人(俵木藤汰、宇納佑、三鴨絵里子)らを巻き込んだ騒動が次から次へと起きていく。
 「人情厚い下町」のイメージがことさらに強調される。強引ともいえる幕切れは、まさに江戸落語の世界だ。一歩間違えば懐古趣味になってしまいそうな題材を、鈴木は山の手から引っ越してきた青年(福本伸一)の目を通してドラマを進めることで相対化し、戯画化する。ハイテンポの演出が、余計な情緒を寄せ付けない。
 鈴木が「下町」に託したものは、お互いがてらいなく本音をぶつけ合うことであり、人と人とが手触りを感じ合える、身の丈にあった暮らしだろう。家族はここから再生をめざすしかない、という視線。「グローバリゼーション」などという言葉に振り回される今、この腹のくくり方にはホッとさせられる。
 息のあったアンサンブルは今回も健在。人の良い下町のおやじを、おかやまや、俵木が好演。岩橋の初々しさも印象的だ。路地に向って大きく開かれた居間という、ユニークな装置(キヤマ晃二)が、下町のざっくばらんな風情をうまく視覚化している。

(今村 修)

人生の機微で笑わせる“魔法”

<2001年4月18日 読売新聞夕刊より>

 脚本・演出の鈴木聡には、だまし絵の画家やマジシャンの才能がある。舞台の語り手でもある青年(福本伸一)が吐く冒頭の独白は、魔法の言葉となった。
 四十歳近い福本に、「こう見えても十七歳の高校生。そう見えない人は努力が足りない」と言わせて、鈴木の世界に引き込む。
 物語は、十七歳のヒロイン斎藤幸子(岩橋道子)の波乱の十二年間を、東京・月島にあるもんじゃ焼き店の居間で展開させる。
 幸子は死ぬ寸前の体験をして人生を考え直す。意に沿わない同級生との初体験。教師との情熱的な恋愛の末の駆け落ちと破局。接客業に活路を見いだし、事業家として東京へ戻るが、詐欺師にだまされて・・・・・・。
 活字にすると陳腐な物語だが、魔法にかかった客には、そう映らない。娘が家を出た後も、温かく見守ろうとする父(おかやまはじめ)、破局後も未練を残す教師(木村靖司)、詐欺にあっても胸の内に収めようとする隣の若主人(宇納佑)。大騒動そのものではなく、その後で一人ひとりがどう行動したのか、に焦点を合わせ、人生の機微で笑わせる。
 これが、鈴木喜劇の大きな特徴で、今回は、性善説に徹したため、風俗店に勤める女性(三鴨絵里子)の純な心に涙し、詐欺師(義若泰祐)すらいい人に見えてくる。これも、魔法のなせるわざ。
 いつもと変わらない笑いと余裕すら感じさせる俳優の演技に疑問がない訳でもない。でもそれはそれ。鈴木喜劇を愛する俳優たちによる舞台が、ある到達点を見せた。

(杉山 弘)